4/19(木) anything is possible

2012バッカスです。

スイスの、イタリアから来るアルプスの途中に、ゴッタール峠という峠があります。
昔から交通の難所で、狭い道が通行人を苦しめていた、悪名高い場所です。
僕は、というか僕の家族は、昔スイスに住んでいて、休暇で僕が学校から戻ると一大旅行をするのが慣わしになっていました。
その年、冬休みで、僕らはスイス→フランス→イタリア→スイスという旅行プランを立て、旅立ちました。
チューリッヒからベルンを経てジュネーブ、フランスに入ってモンブランを見て、モナコ?通ったかなぁ?で、イタリアに入って、ミラノで2泊ほどし て、アルプスを越えてチューリッヒ(近くのツークというところなのですが)に戻る予定でした。


途中、ミラノで母親が高熱を出し、静養のため留まるべきか、道を急ぐべきかを迷ったのですが、帰ることにしました。

ミラノから北上する途中、ビスコンティの愛した美しいコモ湖などを通り、感動しつつ、標高はどんどん高くなって、空気も冷えて来ました。
その頃、父が乗っていた車はオペルのメタルグリーンとトップが黒になっているような車で、景色はどんどん粗雑になり、アルプスに分け入っていきま した。

気づくと辺りが雪景色になっていたことを、記憶しています。
で、夕刻が近づいていました。
ゴッタール峠に、いました。
父は、暗くなる前にこの峠を越えてしまいたい、そう思っていたのだと思います。

降り注ぐ雪と、見えない視界。

いきなり、車体がスピンし、本当に遊園地の乗り物のように、社外が回り始め、ぐるぐる回った後、車はガードレールを突き破って谷底へ落下しまし た。

と、その先には、踊り場がありました。

僕らの車は、ガードレールを突き破った後、数メートル下の、ゴッタール峠の深い雪の中に、突き刺さっていました。
茫然自失だった僕らに、5歳の弟が一言。
「ま、そんなこともあるさ」
で、全員我に帰りました。

幸いにも、近くに農家があり、そこの車でレッカーしてもらい、車は走ることが可能で、道路に戻ることができました。

今思うと、あの時に死んでいても、それは仕方ない。
僕は、そう思うと人生で2度、少なくとも死んでいておかしくない場面があります。
でも、51になった今でも、まだしぶとく生きている。

青春期、僕は2度の死を乗り越えたことを、すごく意識していました。
なので、「今日」を一生懸命生きることに、こだわりを持っていたと思います。
あの頃は、自分は何でもできると思っていました。
その気持ちを、忘れていた気がします。

今日、4月20日という日は、実は自分にとってとても大きな日です。
今日を乗り切れるか。
深夜、眠れずにいた時に、ふとゴッタール峠でのことが頭をよぎりました。
できないことなど無い。
青春期に持っていた、何の確証も無い純粋な思い込みに、再会した思いがしました。

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