3/11(木)「まとい」のデザイン、超クール!

江戸時代の文化に興味津津なsortieです。

先日ちょっとした用があって四谷三丁目に行ったのですが、ふと振り返るとそこにあったのが「消防博物館」

ちょうど時間に余裕もあったし、この手の「公設博物館(ここは東京消防庁が運営)」に弱いし、無料だということもあって中に入ってみたところ、意外や以外、かなり楽しめてしまいました!

実物のヘリコプターや消防車が置いてあって、それだけでもう十分楽しめました。でも、それ以外のフロアも見どころ十分。

江戸時代から現代までの消防の歴史や、現代の消防についてが詳細に模型や実物展示を交えて解説されているのですが、中でも江戸時代の火消しには食いついてしまいました。
まといの縮尺モデル、実際の火消衆が着用していた衣服などを見ると、江戸時代に、火消しがいかに華やかで誇りある仕事だったのかを感じることが出来ます。

ちなみにこの消防車は昭和16年に配備された日産180型。なんかかわいいですね(^^;

それにしても、まとい(纏)のデザインを見ると、日本人の創作性やデザイン力の高さに驚きます。これらの形に全部意味があるとしても、その遊び心、センスには脱帽です。

ちなみに江戸時代の火消しは、水を掛けると言うよりは、火事が起きた家の周囲を取り壊して「延焼を食い止める消化=破壊消火」がメイン。ポンプなど無い時代、そのほうが火を消せたのですね。
となると、道具は消化道具ではなく、家を壊すための道具が必要でした。屈強な火消しの男たちは屋根にあがり、壁を破壊し、火と戦ったのですね。この作業の性格上、壊す作業に手慣れた鳶(とび)職の人が重用されたそうです。ただし普段は仕事をしていて火消しという職業ではなかったそうな。

纏は火事場の目印でもあり、それ以上延焼をさせないというという火消しの決意のあらわれでもあったそうです。この「纏」を持つ纏持ちはまさしく町民のヒーローだったのです。

ちなみに、これは大名みずからの自衛消防組織、「大名火消し」の衣服。
赤穂浪士の服装に似てる…と思ったら、やはりそうで、彼らが火事装束で仇討ちに行ったのは、浅野家が元来火消しが得意だったのと、当時は夜中に集団で歩くと怪しかったなかで、火消しだけは許されていたためだというらしく…。

まさに、へー、へー、とボタン連打な博物館なのでした。
無料にしては充実した展示に大満足。東京はこうした展示が多いので面白いですよね。

今回の記事の写真が古い感じになっているのは、
iphoneのアプリ、「MoreLOMO」を使用して撮影してるからです。
なかなか雰囲気が出てお勧めです!

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